生と死は対義語か?

 五十嵐です。人生をたかが18年しか生きてない僕が死を書きます。
 早速ですが「死にかけたことってありますか?」僕は一応あります。では「死のうと思ったことはありますか?」僕は一応あります。
 死って結構身近なもので、基本的に勇気があれば何処ででも死ねます。生を受けた瞬間からついてくる付属品みたいなものです。別に暗い話をしたいわけではないのですが、話題が話題なのでそうなっちゃいますね。
 では、肝心の質問「(目の前に死があるとして)死にたいですか?」これには大体の人がノーと答えるでしょう。死ぬのは恐ろしいことです。どんな人でも多かれ少なかれその人類最大の悩みを逃避して、言及しません。
 死について考えると自ずと生についても考えてしまいます。「死にたくない状態」は生によって実感できます。しかし「ずっと生きていたいか?(不死身)」と問われると、それはノーです。これは意見が分かれるかもしれませんが、僕はイヤです。ただただ老いて、本当の孤高になったときに見える世界なんて考えたくもない。

 整理すると、生きていたくもないし、死にたくもないのです。ここまで来ると生死なんて表層的にはどうでもいいものに見えてきます。ですが、やっぱり答えを出したいじゃないですか?生は良くて死は悪い!って。でも、現段階(生きている状態)では死を絶対に理解できないのです。だから答えは出せない。でも、自分なりの結論は出せる。
「そんなくだらないことは何処かの誰かに考えさせて、今の所は人生を楽しもう」
 これが僕の答えです。「人生一回きりなんだから、楽しまなきゃ損損!」ってバカみたいですけど、これが結論なんです。

 さて、これからこの記事を美しくまとめますね。みなさん都市伝説とかオカルト系は好きですか?男子校生のほとんどはそういう話題を定期的に、気付けば教室の端っこでしているものです。そういう僕もよくそういう話をしてきました。2時限目の体育、40分間の昼休み、18時を過ぎた放課後の部室……。話題は尽きません、いつまでも有って無いような話に花が咲きます。そうして、その話の行く末は「死んだどうなるか」なのです。皆が時刻に相まって興奮し、言葉を失う。そういうときに決まって完全下校のチャイムが鳴り、カラスが鳴き、外は少し涼しいのです。こうして今までの話題がなかったかのように「じゃあ帰るか」と現実に引き戻されます。

 もしかしたら、そうやって神がそれの答えが出されることを抑制しているかもしれませんね。