山盛りのクソ

はじめまして、虎崎です。

英語の慣用句に"showerthoughts"(シャワーソウツ)というものがあります。入浴や通学などの毎日のルーティーンをこなしていく中で、ぼんやりと頭に浮かぶあれです。今日のハイライトだったり、明日の予定だったり、エロい妄想だったりもしますよね。初回にふさわしい内容かどうかは置いておいて、今回は私自身のシャワーソウツについてお話しします。

春に進学で実家を離れてから、もう少しで一ヶ月が経ちます。帰宅してから次の日家を出るまで、私は主にずっと一人です。一人だからこそできること、誰とも関わらない時間が長いからこそできること、それが、シャワーソウツというわけです。今、"できる"という表現を使いましたが、正確にはそれは自分の意思に関係なく頭の中に浮かんできます。たとえそれが過去の嫌な思い出や失敗など、自身に強いストレスを与えるような内容であっても、脳は構わず私に思考を強いるのです。ただこれにはひとつ対策があります。私はこれを使ってなんとか自分自身に抗っています。まず、頭の中に小さな自分を二人登場させます、彼らは一つのトピックに対して真逆の意見を持っていて、それが私にとって本来興味のないトピックであっても正反対の二つの意見をむりやり私の中に存在させるわけです。そしてその後は私が交互に彼らの位置に立って各々の主張を展開します。要は自分自身と延々ディベートを行っているわけです。例えば、私は人体実験には強く反対していますが、同時にそれを同じくらい強く肯定する人格も存在しているということです。二人は全く互角に主張を戦わせます。私が本来反対派であるからこそ、議論の安定性を保つため賛成派には強く力を入れます。そして決着がつかないまま次のトピックへと移るのです。これを繰り返すうちに作業はいつの間にか終了しています。すごく非生産的ことをやっているのは重々承知の上ではありますが、やはりというか生産的なのではないか派も頭の中には存在してしまっています。

オチがない文章の最後に、この文章にはオチがないというセルフツッコミを入れて強引に終わらせるのってちょっとイタくないですか?そんなこともないか。以上です。

拙い文章で恐縮ですが次はもっと拙くなるので覚悟のほどよろしくお願いします。ありがとうございました。