すごく真っ暗い中でのこわい走り

虎崎

ゴールデンウィーク。直訳すると「金の週」。なんと安直なネーミングであろうか。いや、だからこそというか、命名当時に思いを馳せると、休日というものは金にも匹敵するとても大切な存在なのだという社会人達の思いがひしひしと伝わってくる。もちろんその思いは今も変わってはいないのだろうが、ゴールデンウィークに仕事を休むという人間のほうが少ないように感じる。(一同大爆笑)大学生においてもそれは同じだ。ゴールデンウィークで休みが取れたのでバイトを多く入れたり、日雇いで終日働いたりと、それ普段よりもきついんじゃないの?と言いたくなるようなハードなスケジュールを皆がこなしている。(一同大爆笑)今、皆という言葉を使ったが、これは何も全員というわけではないと注釈しておこう。かくいう私自身もバイトはしていないし、ゴールデンウィークが始まってから3日たち、何も生産的な活動をすることがないまま、ブロッコリーを食べ、事実上からかさになっている。

もともと書きたかったことから話がだいぶそれでしまった。ここからが長いので覚悟してほしい。三日前、つまりゴールデンウィーク最初の日の夜、私は案の定かなり時間を持て余してしまっていた。当たり前だ。普段帰宅後に行っていることをすべて日中にこなしてしまい、家の周りには娯楽施設なんて上等なものはない。いかにして時間を消費するべきかという脳内の討議に「ランニング」という結論が出たのは、時計の針が10時を周り、一人ぼっちの自室がすっかり暗くなってからのことだった。決まってからはかなり早かったと思う。こうして私は、バイト先の候補として考えていた大型商業施設までの片道徒歩50分ほどの道のりを、暇に任せて走り出したのだ。越してきて間もない私にとって、5分も走ればそこは未知の領域である。行く先を照らす街灯なんかも充足しているとは言えない。私が頼れるのは手に収まるほどの薄っぺらい板の中の更に小さな情報の集積、グーグルマップただ一つである。画面右上に表示された15%というなんとも頼りない数字が私の不安を煽り、耳元でがなりたてるエミネムに急かされるように私の歩調は少しずつ強まっていく。気づけば十数分が経っていた。マップで確認すると路の半ばくらいまでは来ていた。体力はまだ残っている。月明かりが辺りを辛うじて照らしてくれてはいるが、その中にぼんやりと浮かび上がる古びた住宅街の中を走るというのはなんとも不気味なものである。この街は景観保存都市に指定されていて、都市自体が戦火を免れたということもあり、歴史的な建築物が数多く立ち並んでいる。だからこそというか、満足な舗装が為されていない細道は何度も枝分かれして入り組み、とても真夜中のランニングに適しているとは言えなかった。同じような建物が並ぶこういう道を通っていると、見たくもない細部に目を奪われてしまう。廃屋の割れた窓ガラスのその奥、側溝の底の見えない暗闇、極めつけは頻繁に姿を見せる小さな寺や祠である。神への畏れの根本は恐れであるという。天災等の不幸への恐れが畏敬の念へとつながったのだ。私はこういう話が好きなので話そうと思えばだいぶ話せるがそれはまた別の機会に回そう。話を戻すと、要はめちゃくちゃ怖いのだ。だが引き返すという選択肢は私の中には無かった。できる限り目を伏せ、全力で駆け抜ける。それが、私がその時取れた最善策であった。ようやく住宅街を抜けると目の前に広々とした開放的な空間が広がる。田園地帯に入ったのだ。ここを抜ければ到着だ、もう少しでつくのだと自分に言い聞かせ、また少しスピードを上げていく。恐怖は依然として背中に張り付いている。田に目を移すとくねくねが居そうな気がしたので、ただ足元だけを見ながら半ば全力疾走していた。やっとの思いで田園地帯を抜け、目的地が見えてくる。遂に到着だ。私の心中は達成感よりも絶望で満たされていた。走る気力はあったが帰り道を抜けられるほどの精神力は残っていなかった。10分ほどゆっくり休憩をとり、嫌嫌帰路につく。ここからは割愛しようと思う。なぜなら帰り道のほうが怖かったからだ。これは行きの倍以上になってしまいそうだ。当初想定していたよりもだいぶ長引いてしまった。箇条書きで許してほしい。

・電柱の根本にそっと置かれた行きは無かったはずの花束×2

・田園の中にぽつんと建てられた行きは無かったはずの墓地

・道の真ん中に置かれたマックのジュース

・嘘の道を教え始めるグーグルマップ

・そして袋小路

・止まる音楽

・なくなる充電

以上。思い出したくもない。次はもっと短くするからこれでとりあえず許してください。