話すには早すぎた話

 五十嵐です。僕は焦らされるのが好きではありません。又、焦らすのも好きではありません。なので、ドッキリの仕掛け人とかも無理でしょうねハハハ。何が言いたいかというと、このブログの創設のお話をもうしちゃうんです。そして僕らの関係を。こういうのは何年も経って明かすから面白いのであって、いま明かすべきではないのはわかります。でも隠せないのです。せっかちだから。
 まず、abmoleの意味はabという箱庭で僕らが出会ったからです。moleは共通認識で、ただモグラに愛着があっただけです。僕らの仲は三年前から始まります。そう高校一年生のときにね。
 僕らはいつも近くにいて、違う方向を見ながらも同じ蛍光灯の光を浴びて生活していました。今、明かすべきことはそれくらいです。馴れ合いは馴れ合いでも、全員が違う方を見れる関係ってそうそう無いんですよ。そんな関係はしばらく変わりそうにないです。

おやすみとおはよう

五十嵐です。

 人は食と睡眠(と程度な運動と性交渉)で成り立っているわけで、これらを疎かにしてはいけません。そして今回はそのうちの一つである「睡眠」の話をします。

 皆さんは寝ますよね?当たり前ですが。でも、睡眠のスタイルが各々違うと思うんですよね。寝る場所も違えば、寝る時間も時刻も質も環境も…。

 例えば僕は、こんな時間(現在4:22)にこの記事を書いてるってことは、夜更かしな人間だということです。そのクセ、バカみたいに寝なきゃ(8から20時間)人並みの生活を送れないので変な身体なんですよ。

 でも、現代社会に生きている以上、規則正しく生きるなんて公務員でも難しいです。大学生の傍らにアルバイトをやっている一見楽そうな身分でも大変なのです。だから変な時間に睡魔が来て、それに負けたら体内時計がぶっ壊れるのです。

 さて、本題に入ります。この現代、特に日本は睡眠を長いこと取るのはいけないことだとされています。(少なくても僕の知っている日本は)

 それってどうなんでしょうか?この日本、ひいては世界には70億もの人がいます。たくさん食べる人やそれほど食べない人、毎日激しい運動をしている人もいれば、ずっと座っている人だっている。ならば、睡眠もその人が(健康に害するレベルを超えなければ)取りたいだけ取ればいいのではないでしょうか?みんな食べる量や運動する量が違うのに、何で睡眠時間だけはきっちり決められているのか。

 「集団生活において、そうでなくてはいけない」

 そう言われてしまえば、反論はできないのですが、そこにこだわる必要はあるのかな?って思います。

 こんなことを考えているから、寝られないんだよな

長谷川です。

今日は雨が降りました。久しぶりな気がします。実際どうだったか調べるなどの事はしていません。

雨は出場させてもらえる気がしない試合と面倒な練習を潰してくれたのでとても好きでした。教室の窓から水溜りが出来たグラウンドを見て嬉しい気持ちになっていたのを、雨が降れば思い出します。平日は雨なら中練習に切り替わり廊下を走ったり筋トレをしたりのメニューでしたが、体力だけは自信があったのでまだマシでした。それに中練習になると普段より早く終わったので良かったです。

 

山盛りのクソ

はじめまして、虎崎です。

英語の慣用句に"showerthoughts"(シャワーソウツ)というものがあります。入浴や通学などの毎日のルーティーンをこなしていく中で、ぼんやりと頭に浮かぶあれです。今日のハイライトだったり、明日の予定だったり、エロい妄想だったりもしますよね。初回にふさわしい内容かどうかは置いておいて、今回は私自身のシャワーソウツについてお話しします。

春に進学で実家を離れてから、もう少しで一ヶ月が経ちます。帰宅してから次の日家を出るまで、私は主にずっと一人です。一人だからこそできること、誰とも関わらない時間が長いからこそできること、それが、シャワーソウツというわけです。今、"できる"という表現を使いましたが、正確にはそれは自分の意思に関係なく頭の中に浮かんできます。たとえそれが過去の嫌な思い出や失敗など、自身に強いストレスを与えるような内容であっても、脳は構わず私に思考を強いるのです。ただこれにはひとつ対策があります。私はこれを使ってなんとか自分自身に抗っています。まず、頭の中に小さな自分を二人登場させます、彼らは一つのトピックに対して真逆の意見を持っていて、それが私にとって本来興味のないトピックであっても正反対の二つの意見をむりやり私の中に存在させるわけです。そしてその後は私が交互に彼らの位置に立って各々の主張を展開します。要は自分自身と延々ディベートを行っているわけです。例えば、私は人体実験には強く反対していますが、同時にそれを同じくらい強く肯定する人格も存在しているということです。二人は全く互角に主張を戦わせます。私が本来反対派であるからこそ、議論の安定性を保つため賛成派には強く力を入れます。そして決着がつかないまま次のトピックへと移るのです。これを繰り返すうちに作業はいつの間にか終了しています。すごく非生産的ことをやっているのは重々承知の上ではありますが、やはりというか生産的なのではないか派も頭の中には存在してしまっています。

オチがない文章の最後に、この文章にはオチがないというセルフツッコミを入れて強引に終わらせるのってちょっとイタくないですか?そんなこともないか。以上です。

拙い文章で恐縮ですが次はもっと拙くなるので覚悟のほどよろしくお願いします。ありがとうございました。

生と死は対義語か?

 五十嵐です。人生をたかが18年しか生きてない僕が死を書きます。
 早速ですが「死にかけたことってありますか?」僕は一応あります。では「死のうと思ったことはありますか?」僕は一応あります。
 死って結構身近なもので、基本的に勇気があれば何処ででも死ねます。生を受けた瞬間からついてくる付属品みたいなものです。別に暗い話をしたいわけではないのですが、話題が話題なのでそうなっちゃいますね。
 では、肝心の質問「(目の前に死があるとして)死にたいですか?」これには大体の人がノーと答えるでしょう。死ぬのは恐ろしいことです。どんな人でも多かれ少なかれその人類最大の悩みを逃避して、言及しません。
 死について考えると自ずと生についても考えてしまいます。「死にたくない状態」は生によって実感できます。しかし「ずっと生きていたいか?(不死身)」と問われると、それはノーです。これは意見が分かれるかもしれませんが、僕はイヤです。ただただ老いて、本当の孤高になったときに見える世界なんて考えたくもない。

 整理すると、生きていたくもないし、死にたくもないのです。ここまで来ると生死なんて表層的にはどうでもいいものに見えてきます。ですが、やっぱり答えを出したいじゃないですか?生は良くて死は悪い!って。でも、現段階(生きている状態)では死を絶対に理解できないのです。だから答えは出せない。でも、自分なりの結論は出せる。
「そんなくだらないことは何処かの誰かに考えさせて、今の所は人生を楽しもう」
 これが僕の答えです。「人生一回きりなんだから、楽しまなきゃ損損!」ってバカみたいですけど、これが結論なんです。

 さて、これからこの記事を美しくまとめますね。みなさん都市伝説とかオカルト系は好きですか?男子校生のほとんどはそういう話題を定期的に、気付けば教室の端っこでしているものです。そういう僕もよくそういう話をしてきました。2時限目の体育、40分間の昼休み、18時を過ぎた放課後の部室……。話題は尽きません、いつまでも有って無いような話に花が咲きます。そうして、その話の行く末は「死んだどうなるか」なのです。皆が時刻に相まって興奮し、言葉を失う。そういうときに決まって完全下校のチャイムが鳴り、カラスが鳴き、外は少し涼しいのです。こうして今までの話題がなかったかのように「じゃあ帰るか」と現実に引き戻されます。

 もしかしたら、そうやって神がそれの答えが出されることを抑制しているかもしれませんね。

イヤホンのない日

 五十嵐です。只今地下鉄でこの記事を書いています。いつもならば音楽かラジオを聴くはずなのにな。
 事の始まりは30分前、イヤホンが家になかったのです。探しても探してもないのです。時間がなく、諦めて家を飛び出しましたが、音のない世界は辛いものがあります。
 地下鉄から発する高い音や揺れる音、アナウンスに人混みの音、総てが心地悪い。いつになれば慣れるのかな。小学校までは好きだったのにな。

デスノートは人を殺めたいから読むんじゃない

 五十嵐です。次の奴がなかなか書かないので僕が書く!!

 デスノートという漫画があります。僕が物心がついた頃には存在し、実写映画が放映されてる頃から「デスノート」という単語を知り始めました。
 僕は薄っぺらい人間です、本当のデスノートマニアではありません。勿論(アニメ)全話完走していますが、もっと自分が思っている以上の魅力があるのだと思います。なので、ハウツーだとか考察だとかを語るのではなく、純粋にデスノートを見た感想を感性だけで書き綴りたいと思います。まぁ今更感はありますがね。
 僕は毎年と言っていいほどにデスノートを見返します。理由は簡単で、あそこまでリズムが良いアニメをあまり知らないからです。音楽を聴くのと一緒なんですかね。
もう一つあるとするならば「あのスリリングな一部分を見たい!」って適当に23話とか開くとそのまま最終回まで見ちゃうんです。後者のほうが強いかな。
 さて、Lとキラはどっちが好きかでその人がわかるんですよね。僕はLが好きなのでキラが好きな人はどうかしてるなって思います。序にLを継ぐニアという少年も好きです。結構嫌いな人が多いんですけど、俺がショタだからでしょうかね?年下の女には興味はないのですが、ニアには興味があります。
 中身の無い話はこれまでとして今回一番言いたいことは、夜神月が死んで、世界にキラ殺しが無くなった後の原作の最後の見開きページについてです。女が天をみて拝んでいるのです。めっちゃ単純でド直球なシーンです。そしてとてもカッコいい。キラが正義の世界にはやはり救われた人はいました!おしまい!って感じでキラは本当に悪だったか?もう一度考え直させています。(まぁ深読みしすぎかもしれませんが)
「死」についてはまたついか語りますが、生が70億もあるのなら明らかな悪も存在します。その悪はどう頑張っても悪なのです。なら殺せばいいのか?僕はそうは思いません。偽善とかじゃなくそう思います。ただ、そんなのは戯言でしかありません。死刑があるのもそんなようなものです。(イデオロギーを説くのではありませんがね…)
この記事にオチはありません。ただそのページがカッコいいってだけです。そしてLに憧れるって話です。